【社会/考え方】自己責任は手に入れ押しつけず

私が常に肝に銘じているのは、「自己責任は自分に課すべき。でも、強者の論理だということを忘れちゃダメ」ということです。

たとえば一例。自助論って本ありますよね。これ。

スマイルズの世界的名著 自助論 知的生きかた文庫

良い本だと思いますし、読んでてためになる部分があるなって感じます。でも、私はこの本を人に贈ったり、強く勧めようとは思いません。この本についての感想を求められたら伝える、くらいの受け身スタンスです。

世の中には、私が想像も付かないほどの苦境に追い立てられているひとがいます。「何とかしたいけど、自分ではどうにもならない」と無力感にさいなまれているひとが(本当にそうである、あるいは思い込みである場合も含めて)大勢います。自分を取り巻く社会環境に追い立てられている弱者です。

『自助』という言葉は、そのような苦境を感じている人にとっては欺瞞、きれいごとにしか聞こえず、逆に心を傷つけてささくれ立たせることになります。今まで学校でずっといじめられてきた人に「あんたがしっかりすればいじめられないのよ!」なんて、万一心の中で思ったとしても口に出したら、話がこじれそう、あるいは相手を傷つけそうだなって話をスルーのと似たようなことです。たとえその人の見た目が強面のお兄さんでも、心の中はガラスのハートかも知れませんので注意が必要です。

その延長に、自助だとか自立だとか強くなれとか、そういうのを押しつけない、という私のスタンスがあります。自己責任の理論を受け入れられる人は、それだけでそうでない人たちよりずっと恵まれているということを忘れると、多分傲慢さが鼻につくこっぱずかしい人間に成り下がるのだろうなと思います。もちろん、聞かれたら答えるけどね。「自助論って面白かった?」「読む価値がある本だと思うよ」

とにかくやってみよう──不安や迷いが自信と行動に変わる思考法 自助を人に押しつけないことと相反して、「自分を自分で助ける!」という考え方は、身につけることを歓迎すべきスキルだと思います。「どんな苦境に陥ったとしても、自分で何とかする、できる」と信じられることは、自己不信に陥るような出来事と無縁で,あるいは苦境から立ち直り生きてきた証で、とてもすばらしいことです。『夢をかなえるゾウ』でも「他のことは諦めても良いけど、自分だけはあきらめんな」みたいなことを言っていました。(すみません、今出先なもんで、詳細な引用できない。多分文中の、結構後のほうだったと思う)『手元からあらゆるものがこぼれ落ちても、自分を諦めずに足掻けること』は、それだけで周囲のあらゆるものから良い影響を受けた結果で、ありがたいことだなと思います。

さらに、もうすこし自分で自分を助けることについて、ポジティブに考えてみたいかた、あるいは「人のせいにしがちな僕だけど、もっと自立した考え方に近づきたいんだ」という方には、『とにかくやってみよう』もおすすめです。個人的に最近のヒット。自助論よりやわらかく明るい本なので、先にこちらを読むのがいいかもしれません。近々この本も取り上げます。(今出先なので以下略)

ところでこの話がビジネスやら労働やら、その手の問題にどうつながってくるのさ、って疑問に思っている方、いらっしゃるとしたら突っ込みありがとうございます。メチャメチャ関係あります。というか、このような考え方が、差別問題全般についてものすごく深く関わってきます。繰り返し、似たようなことをいうかもしれません。とりあえず、一回目ということで私のスタンスを表明するところからはじめました。

 出来たらおぼえておいて欲しいことがあります。私やあなたにとって当たり前のことが、誰かにとっては猛烈な苦痛をあじわう体験になりうる、ということです。何かが当たり前にできる、ということは、良いことばかりではないです。それができない人の心情を実感する機会を永遠に手放しているばかりでなく、”出来る=自分のほうが優秀”とろくでもない思い込みをしがちという弊害まであります。思い込みは傲慢さを呼び、過剰な傲慢さは人を遠ざけます。自身と謙虚さの丁度良いバランスはかくも難い。

 そういうことを、ちょっとでも心の片隅において頂けたら、と思います。

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 次回は、ちょっとでも労働の話に足を突っ込めるかしら。
 私書きながら考えるタイプなので、分からないけれど・・・。