【文章術】書くことを嫌いになるのはいつも自分【ブロガーハック 4/10】

 もし、私が書く事に嫌われてしまったとしたらら、きっとすごく悲しくなります。
 文章を書きたいのにノートやペンやパソコンが逃げてゆく。あるいは、ノートが私に表紙を向けて難しい顔で「この前僕のことを嫌いだって言って、放り投げただろう?だったら僕だって嫌いだ」と言われる。
 もしそんな風になったらわたしはひたすら謝り倒すでしょう。だって書きたいから。

 この思考実験は、二つの大切なことを教えてくれます。ひとつは、書く事がどれほど素晴らしいか、ということ。そしてもうひとつは、書く事はいつも逃げないでその場で待っていてくれる、ということです。

 世界中には、紙とノートが貴重品、という子たちがたくさんいます。砂と木の棒で書く事は誰にも許されていますが、それをノートに書き写して取っておく、という権利は、まだ誰にでも許されたものではありません。ペンとノートの値段にそれほど頓着せず、まるで蛇口をひねれば出てくる水のように享受できる私たちはついつい書く事の素晴らしさを忘れがちですが、それを思い出そうとするなら、先ほどの思考実験や、あるいは世界から紙やペンが消えるところを想像するといい。

 もし明日からペンも紙も買えなくなります、パソコン持つ買えなくなりますといわれたら、私のみならず文房具屋や画材屋にひとが大勢押し寄せることでしょう。

 書く事は素晴らしい。そして、今日も明日もペンや紙はなくなることなく、私たちが書く事を待っていてくれる。これに感謝して文章をつづるのも私たちなら、「白いページなんて見たくもない!」と壁に叩きつけるのも私たちなのです。

 ここまでお話すればもうお分かりですよね。書く事に対する態度は、いつだって私たち次第だということ。

 目の前に当たり前に文房具があって、好きなだけ書き散らしてとできるのは、一見当たり前のようでいて奇跡的なこと。改めてそのありがたみを噛み締めると、世界の色がちょっと違って見え、干上がりかけのやる気の泉に再び水を注いでくれることでしょう。