『あれは今から数十年前・・・いや、44年前だったか。私達にとっては昔の出来事だが、あなたたちにとっては、明日の出来事、になるかもしれません。』
ネット上で批判轟々な都条例改正案ですが、私は継続審議中であるうちはいいと思っていました。
『猥雑な著作を18才以下の目から遠ざける』という発想は、まあ間違ったことは言っていないなと。
実際、一般誌でも行き過ぎと感じられる表現には遭遇します。「いや、今見たいのそれじゃないのよ、余計なサービス要らないよ」みたいな。それに期待するなら別途エロ漫画買うわ、というレベルのものを、かわいい我が子から遠ざけたいというお父さんお母さんの気持ちもあるでしょう。それをおもんばかることが悪いとは思いません。
だからこそ、審議を重ねて適切な規制対象と実現可能なきる規制方法を模索し、規制されるボーダーをはっきり明示した上で、誰もが納得いくかたちでの成立を目指して欲しいと思っていました。
しかし、ここに来て成立の目処が立ち、なのに肝心なところが何も決まっていない。
【都条例改正案の問題点】
1.発想が父権主義にすぎる →そもそもこの条例、本当に必要なの?
2.規制対象が明確でない →議論不足
3.成立後、対象を拡張できる →する気満々です
3.などは特に酷いもので、いわば都の中心に刑務所だけ先に作っておいて、そこに誰を放り込むかはあとで決めます、と言っているようなものです。こんな状況では、『表現の自由を都が思う通りに規制しようとしている』ととらえられても無理はないでしょう。
先に挙げた1~3について、順に見ていきましょう。
1.発想が父権主義にすぎる
父権主義(パターナリズム)とは、「弱い立場の存在を守ろう」と思う強い立場の存在が(弱い立場の人がどう思っているかにかかわらず)強い介入を図ってくることです。
これについて、池田信夫さんが、
そもそもこの条例の求める「健全な青少年」とは何なのか。大人が「有害な表現」を指定して子供の目にふれないようにするという発想の根底には、子供は未成熟な存在で、「不健全」な情報を与えるとその発育が阻害されるという発想があるのだろう。
とおっしゃっています。まさにずばり。
また、13日、モバイル業界団体MCFが都条例改正案に意見表明するにあたって、同様の指摘を含む内容を、下記のように述べています。
・「表現の多様性を確保するための慎重な審議がなされておらず、青少年保護は現行制度で十分に対応できる」
・「青少年の健全育成という本来の目的を逸脱し、都が決めた道徳や倫理観を一方的に押しつけるパターナリズムによる理念が先行している」(以上一部抜粋、強調は新井)
特にこの2点の意見表明は重要だと感じました。というか、この程度の反対意見が出てしまう程度の内容しか固まっていない時点で法案可決を目指している事そのものが呆れた事態と言えましょう。
一点目の、『青少年保護は現行制度で十分に対応出来る』について。
実際、制作側も販売側も、規制が強まっているとは感じます。
制作側では、事実、エロ・グロ要素の強いアニメーションは、どんどんOVA化していますね。(ヘルシングとかブラックラグーンとか。もちろん表現の問題だけじゃないでしょうが)今となっちゃ、エルフェンリートなんて深夜でも地上波に乗せられないでしょう。それに引き替え、京アニの日常系を筆頭に、ショッキングな要素の少ないアニメーションが増えていますね。
ちょっと前だと、エウレカセブンなんかが朝7時台でそこそこリアルなロ表現頑張ってたのを思い出しますが、ゴールデンタイム放送のコードギアス2期の表現が、深夜の1期に比べて格段に規制されていることを残念がったファンも少なくないはず。シグルイだって放送はWOWOW、しかもR-15指定できっちり制限されています。事例を挙げればキリがありませんが、ある程度はきちんと業界側も節度をもって対応しています。
また、販売側も随分厳しくなりました。私が中学生の時、中野近辺の学校に通っていました。あのあたりは、秋葉原とはまた別の意味でオタクのメッカです。今じゃ考えられませんが、10年前までは、大手チェーンでも制服のままR-18同人誌が買えてたんですよ。本棚に普通に刺さっててね。私は友達について行くだけでしたけれども。日本最大の同人誌即売会として名高いコミケも、近年は警備が強化されたがを外して暴れる輩も滅多にいませんし、また年齢確認が積極的に導入されていることもあって、随分いかがわしい場所ではなくなりました。まあ、それを抜きにしても、未だに少年少女にとってハードな場所であることには変わりないのですが。(主に体力的な意味で)
ちょっと昔を思い出してみますと、まあ昔は自由だったなあ、なんて懐古に浸るとともに、「R18の表現を含めても、私の人生に何かしらの悪影響があったか?」と考えたときに、あんまりピンと来ないんですよね。私あんまりエロには傾かない代わりに、ある程度のグロ表現とか、人間らしい生々しさとか、そういうのは好きだったので深夜アニメはそこそこ見てました。そしてあの頃の深夜は今よりかなりフリーダムでしたけれども。カウボーイビバップやエヴァ、トライガン、無限のリヴァイアスで私の人生がねじ曲がったか?と言われると、うーん。
とはいえ、こういう性とか暴力の話をするときに、「猥雑・暴力的な表現は犯罪を助長する」みたいな言説がよく出てきますけれども、これについてははっきり「ノー」と言っておきます。他国と比べても、時系列で比較しても、アニメ・漫画の表現は犯罪を助長する主要因にはなり得ません。
ちょうどそれについて、内田樹さんがちょうど的確なコメントをなさっているので、ちと長いですが引用。
統計が私たちに教えてくれるのは、わが国が世界でも例外的に犯罪の少ない国だということである。殺人事件発生率は先進国最低である。ロシアは日本の22倍、イギリスは15倍、アメリカは5倍。2009年には日本は殺人発生件数で戦後最低を記録した。
少年犯罪も同様である。殺人、強盗、放火、強姦といった凶悪犯罪が多かったのは1960年前後であり、以後急カーブで減り続けている。だから、日本には欧米からも「どうしてこんなに少年犯罪が少ないのか」を知りに視察団が送り込まれてくる。
私の記憶する限り、強姦件数が史上最多であった1958年というのは「有害図書」に子どもたちが自由にアクセスできるような時代ではなかった。「有害図書」を売るコンビニもなかったし、エロゲーもポルノビデオもなかった。性に関する情報から子どもたちは隔離されていた。それでも性犯罪は起きた。ということは有害図書の流布と性犯罪発生のあいだに統計的な相関は見出しがたいということである。(強調は新井)
これについては、私も大学生時代に習いました。紙の表現が小説以外のものへと大きく拡張されることと、凶悪犯罪の発生率の間には、まったく相関が見いだせないということ。
つまり、有害図書を規制すれば青少年が性犯罪を起こすのを止めることができる!というロジックはそもそも成立し得ないのです。
じゃあ、有害図書を規制することが性犯罪・暴力犯罪の抑止に結びつかないなら、なぜそれを規制するの?そもそも規制する必要って、実はないんじゃないの?
こんな議論が不足していることが、先のMFCの『都が決めた道徳や倫理観を一方的に押しつけるパターナリズムによる理念が先行している』という意見表明が突きたい問題点であるととともに、そもそもこの改正案が”必要かどうか”それ自体を検討する直す議論が不足している証左なんじゃないでしょうか。
2.規制対象が明確でない
誰の目から見ても明らかな「議論不足」がたたっている問題点です。
それに加えて、都側が紙媒体の表現に対して「小説は読む人によって様々な理解がある。その点、漫画やアニメは誰が見ても読んでも同じで一つの理解しかできない」 程度の認識しか持っていないと分かれば、そりゃあ表現者側も「やばい、この法案はやばい、通したら後が怖すぎる」となっても仕方ないと思うんですよね。
しかも都側、こういう表現の規制に注意を払わない態度の発言を度々繰り返している。(動画ソース貼りたいんですがよく消えているので、youtubeやニコ動コメ無し等でご確認ください。)
具体的な規制内容で、新井個人が特に怖いと感じる(また、他でも指摘が多い)のが、改正案の下記の内容。
(不健全な図書類等の指定)
第八条 知事は、次に掲げるものを青少年の健全な育成を阻害するものとして指定することができる。
一 販売され、若しくは頒布され、又は閲覧若しくは観覧に供されている図書類又は映画等で、その内容が、青少年に対し、著しく性的感情を刺激し、甚だしく残虐性を助長し、又は著しく自殺若しくは犯罪を誘発するものとして、東京都規則で定める基準に該当し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの
二 販売され、若しくは頒布され、又は閲覧若しくは観覧に供されている図書類又は映画等で、その内容が、第七条第二号に該当するもののうち、強姦等の著しく社会規範に反する性交又は性交類似行為を、著しく不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現することにより、青少年の性に関する健全な判断能力の形成を著しく妨げるものとして、東京都規則で定める基準に該当し、青少年の健全な成長を阻害するおそれがあると認められるもの
等ってなんですか等って・・・!
そりゃあ強姦表現が良くないのは分かるけれど、その等に東京都が何を入れてくるかは、この条文にはまったく書かれていません。
LGBTの性表現はどうなるんでしょう?近親は?不倫は?下手すれば未婚のヘテロセクシャル同士1:1の性表現以外は全部アウト!なんてこともあり得る。
また、この文中では『図書類』という指定になっているので、規制対象は漫画・アニメにとどまらず、小説やその他表現にまで及ぶ可能性だってあります。しかも基準は東京都の規則です。
こんな、ざる以前に穴がぽっかり空いている、しかも下手をすると表現の自由が大きく損なわれる危険性がある法案に、簡単に賛同できるほうがどうかと思います。継続審議中に詰めて欲しかったのはこの”等”をはじめとした、曖昧な規制対象を明文化することでした。改正案の法適用範囲をむやみに広げる事を求めていたんじゃありません。
3.成立後、対象を拡張できる
しかもやる気満々です。残念なことに。
拡張する、というより、冒頭で言った、『先に箱作っておいて、中に何をぶち込むかは後で考える』というほうが近いものですが。
最初この記事を読んだとき、開いた口が塞がりませんでした。
同委員会で、民主党議員が「創作活動の萎縮につながるという懸念を抱く出版関係者が多い。どう不安を払拭するのか」との質問に対し、都は「条例案はこれまで通り、18歳以上への販売を規制するものではない。(区分陳列に加わる)範囲について懸念を抱く人もおり、改正案の趣旨に理解を得られるようにしたい」などと述べた。条例案が今回の議会で可決された場合、今年度中に解説書などを作成するという。(漫画規制、パンフ作成へ)
いや、そのパンフ、そもそも改正案審議する前に作ろうよ・・・。
そのパンフがあれば、今改正案で反対に回っている人の心配をどれだけ払拭できることか。ここまで泥沼化してるんだから分かるでしょうよ、しかもこの法案一回成立失敗しているんだしさ。改正案の詳細な内容が不明瞭だからみんな怖がってるんじゃないか。
むしろ、「改正案通ったあとにパンフ作ります!」なんて言ったら、「それって、改正案が決まった後で、表現者の首をどう絞めるか考えるつもりなんだ?」と勘ぐられたってしょうがないと思いますよ。
今回見てきた3つの問題点について、どれにも共通して言えることは、『ザル法案で議論が大幅に不足している』ということだと思います。コンセンサスがない、そもそも作る気も見られない、こんな状態では反対意見が至るところから噴出したとて仕方がないでしょう。
『コンセンサスは時間の無駄』と言ったのはサッチャーさんだけれど、それは当時のイギリスに経済の困窮という、誰の目から見ても明らかな問題があって、それを解決するために強引な手段に訴えたという、その方法論はともかくとしても、その行動には明確な理由がありました。
しかし、今回の改正案については、そもそも「その改正案必要なの?」から始まる、問題意識の共有すら図られておらず、表現で飯を食っているステークホルダーたちとじっくり話し合う場を設けることもなく、法案だけ先に通して『中身は後で考えます』というのが透けて見えて、反対派の「この法案を通したら、後々やばい『かもしれない』」という恐怖心をいたずらにあおり立ててしまっている状況です。
私は、この法案自体を否定したいのではありません。今回見てきた問題点を通じて、この改正案を成立させるには時期尚早だ、という立場です。法案の考えの根っこには賛同しますが、その枝葉の付き方がはっきりと分からず、未だに賛同するに至りません。納得がいきません。私の表現の主なものは文章だけれど、その枝葉がいつ良くないものに変わって、文字表現にまで手を出してくるかと怯えるのは嫌なのです。性的な表現や、暴力表現が万一文字に閉じ込められでもしたら、次に規制対象候補になるのはそれらでしょう。
そして何よりも、表現の自由を阻害することは、文化を間違いなく衰退させます。何せ、お隣の国台湾に、漫画が絶滅した実例があるからね・・・。
あれは今から数十年前・・・いや、44年前だったか。私達にとっては昔の出来事だが、あなたたちにとっては、明日の出来事、になるかもしれません。(中略)
1966年に台湾政府が「編印連環圖畫輔導辦法」、人呼んで「漫畫審査制度」を可決しました。
曰く、国家政策と法律を反してるもの、倫理道徳を破壊するもの、少年児童の心身健康を妨げるもの、習俗を妨げるもの、迷信を宣伝するもの、国家社会に他の影響を与えるもの。 これらは漫画のイラストと文字に存在してはいけない。
犬は喋らない。ロボットの能力は制限されるべき、自由意識と言葉を持つべきではない。武器は現存のそれを超えてはならない、核やレーザー、ガスなど強力すぎる武器を使っていけない。etc…
一度輝いた台湾漫画界は、この制度に縛られて、やがて消滅しました。