もしあなたが街中で全くお金を持っておらず、おなかが空いていながら、自分で買った覚えもない金時計をなぜか腕にしているとしたら、あなたはまず何をしますか?
ここで「警察に金時計を届ける」と答えたひとの心のピュアさに、僕は勝てない!
まあ、十中九九、「時計を売ってお金にする」という選択肢を選ぶのではないでしょうか。だってその金時計は別に自分が欲しがって手に入れたものではないから心理的な価値はないし、それより絶え間なく訪れる空腹のほうがよほどこたえることでしょう。私だったら即大黒屋に駆け込みますね。
これはつまり、今困っていることの解決策があまりに明確に目の前に吊り下げられているので、考える間もなくその行動を取ってしまう。ほとんど反射に近いものです。
でも、書く事のモチベーションが下がる、というのも、根本的な構造はそこまで違いません。
ブログを書けない(おなかが空いた)、という問題があって、自分の両手は動く(金時計をしている)。
解決策は言うまでもなく、手を動かして書く(金時計を売って金を得る)ことですね。
構造は重なり合うのに、なぜ空腹を満たすために金時計を売ることは迷わなくて、ブログがかけないという問題を解決するために文章を書く事ができないのでしょうか?
そう、つまり切実さの違いです。
[空腹]という生命に関わる問題が、[不用品を売る]という簡単な手段で解決する。
かたや、[ブログが書けない]という、やってもやらなくても死にはしない問題を解決するために、[ブログを書く]という非常に手間と苦労がかかる手段が必要になる。
この差を埋めるために必要なことは「あえて考えない」ことです。
文章が書けない、モチベーションが保てない、という問題は、先ほど例に挙げたように自分の生命をとどろかすような問題ではありません。だから余裕が出る。腹が減って死にそうだ!となったら余裕なんてないですよね、死に物狂いでご飯を探すでしょう。
だから、時にはあえて「なんで自分、文章が書けないんだろう・・・」と凹む気持ちをとめる、考えることそのものを一旦放棄する。
そして、考える前に書いてしまいましょう。もっと悩みたかったら書いてから悩む。むしろ、悩んでいることそのものを書いてしまったっていい。
考える前に手を動かす、手を動かしてみてから悩む。これをクセづけると、少なくとも昨日より1文字以上書けることは保障します。