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【社会/考え方】成功しているのは『めげない』人たちである

Written on:11月 7, 2011
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*ええ、お分かりでしょうがタイトル=某書のパクりです。
*でもあのタイトルがすごく好きで、つけたの編集さんにしろ著者さんにしろマジGJって思う。
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社会人4年目で、あまりにずさんな経営に怒りを覚えて、勢いで前社長から経営権をぶんどったはいいものの、その月からお金がなく資金繰りに奔走し、今立派に会社を立ち行かせている、精悍さと情の深さを併せ持った社長の鏡を知っている。

勉学に専心している途中で大病を患い、人生観を大きく変えて、今IT業界で大成し作家としても活躍している、心優しい青年を知っている。

家族がらみで心が参ってしまって、気づいたときには新幹線で数百キロ離れた福岡駅にいた、というところまで追い詰められつつも紙とペンを手放さず、いまや、一般人では及びもつかない突き抜けた美しい表現ができるチャーミングな奥様を知っている。

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アライさんは、時々ありがたいことに、その人の能力のバックグラウンドを(明るいところもそうじゃないところも含めて)お話していただけることがあって、そういうお話に例外なく感銘を受けます。そしてそのたびに思うのは、「突き抜けた能力の影には、大なり小なり”不幸”があるのだなあ」ということ。

そういえば、以前ガネーシャさんも似たようなことを言ってたな、と思い出しました。

 『人間が変わるにはな、もうでっかい不幸が必要やねん。悩んだり、苦しんだり、もうしんでまおかなて思うくらいのでっかい不幸や。そういう時、ひとはやっと、それまでのやり方を変えんねん。人間なんてほっといたら楽な方、楽な方へ流れてまう生き物やからな』 (『夢をかなえるゾウ』単行本版P290)

これは事実だと思う。実体験からしても、つくづく。

私の本好きはイジメのお陰だ、と言い切れば、自嘲が過ぎると思われる方もいらっしゃるかもしれないけれど、自分で割と事実だと思っているのです。
小学校5年生の頃、クラスでイジメにあっていて、学校にいっても人間の友達がいなかったものだから休み時間はずっと本が友達でした。クラスの後ろに備え付けてある図書ボックスのなかの本を開いては読むということを繰り返しているうちに、自然と本が好きになっていました。
それは私立に長距離通学をした中・高・大と変わらずで、よく本を読むというので、図書委員会から時々図書券を貰ったりしていました。500円分でもずいぶんと嬉しかったな。
どんなに他の科目のテストが散々でも、現代文だけはいつもそこそこ良い点数だったことに救われていました。特に、普段のテストより実力テスト(予習が出来ないタイプのテスト)が、やたら点数急上昇するタイプ。
学生時代6年間付き合った図書室の様子を、いまでもまだはっきり思い出すことができます。

アライは基本的に超ずぼら人間なのだけど、それでも、何かに興味を持つことが得意だったり、なんとか書いて仕事ができていたりするのは、すべてこの『本好き』が根っこにあることが功奏しているのだと思うのね。

そういう意味では、やはり私も『災い転じて福を成す』パターンの人間みたいなのです。

だから、最近思うのは、
今”不幸”だと自分で感じている人は、大きく羽ばたく準備中なのだな、ということ。

もちろん、そういうときは本人が苦しんでいる真っ最中なので、安易な慰めに映る言葉を素直に伝えることは出来ないのだけれど・・・。
心の中ではすごく「頑張れ」って思っています。

そこで、粘ってくれ、あきらめないでくれ。腐らずにそこから浮き上がれたら、今苦しんでいることのすべてが 絶対に人生の肥やしになるから、と。

『「一つだけ、絶対にあきらめたらあかんことがある」
「それはなんですか?」
『自分』や。自分には何か才能がある。自分にしかできない仕事がある。そのことに関してはあきらめたらあかん。見つかるまでそれを探し続けなあかん。自分自身に対してはあきらめたらあかん』 (『夢をかなえるゾウ単行本版P303)

もちろん私だって、まだまだ人生旅行中だし修行中。今日も明日も ちからいっぱい生きますよ!

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