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【考え方/雑文】『夢がほしい病』がゆっくり癒えていく気がするのです

Written on:8月 5, 2010
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 とはいえ、私自身、つい最近この考え方から抜け出せる気がしただけで、まだまだ病気中で、でもなんか変わりそうな予感があって、この文章もそんな予感だけを抱いて書き始めています。

 結論どうしようとか、なんのための書こうとか、今は考えていない。自分と話をするために書くような話です。

 私には、何かに向かってがむしゃらに頑張るような「夢」がずっとなくて、ずっとほしいと思っていました。

 スポーツ選手とか、職人さんとか、やっぱりかっこいいじゃないですか。何かに向かって一途に頑張る姿って。みんなもそれを見てかっこいいと言うし。ビジネス書を読んでいても、「夢を持ちなさい!」みたいなことをいう本っていっぱいあるし。

 そう、今思い返せば、みんながかっこいいという、裏を返すと夢を持って一途に頑張らなければ”かっこよくない”という考え方に引きずられすぎてたんだなって思いました。人生をかけるに値するような壮大な夢を持って、それに向かって努力しなければかっこよくない気がしていたのです。

 そういう風に考えていた自分を理解したのが本当につい最近で、しかもこれを言葉にしてみると、とっても深くうなずける話でした。ああ、うん、そうだよね、私どうでも良いところで見栄っ張りだしね、と。

 さらに言えば正直、夢を持っているか否かを、かっこよさ基準で考えていた自分を知って良い気分はしませんでした。げぇ、マジかよ自分浅はかな、と思いました。

 考えなしの右にならえ的な行動が嫌いなはずなのに、そうしていて、多分今だって、私のどこかが考えなしの右にならえをしているのだろうけれどそれは割と無意識で、だからその無意識の、考えなしの右へならえを改めて自覚すると嫌な気持ちになるのです。

 マイペースのかたまりと自他共に認める私が、まさか、まさかと思ったのだけれど、どうやらそういうことらしい。

 それで、考えました。一途でなきゃかっこよくないなら、本当に自分がそう思ってるんだったら、今の私はずいぶんと不格好なはずなんだけれど、こんな自分も相当気に入っているんだよなーと。

 もの書いているし人の手伝いしてるし、勉強会も開くしフラフラ遊んでるし、結局何してるんだかよく分からない状態ではありますが、つまりこのカオス状態が私です。何屋かと言われてもとっさには答えられない。せいぜい現状は『ブロガー』という肩書きが精一杯の自己表現なのです。

 でも好き。こんな自分好き。

 とすると、夢は欲しいけど現状で満足している、という、結構わがまま言ってる状態になるんだよな私。自覚するとこれはこれで凹みます。

 最終的に達した結論は『夢がほしい病』は多分そのうち治るわ、ということでした。自然に治癒しそうです。なぜなら、一度『夢がほしい病』を自覚して向き合ってみたら、意外と夢がない自分も許せそうな気がしたから。

 大きな夢がないということは、何かに深く執着していない証だと思うのです。

 あきらめの早い自分の性格が時々イヤになるけど、決して人一倍粘り強くはないけど、かわりにフットワークが軽いということだから、そっちの軽さを生かして、今みたいにカオスにやっていくのが自分には合っているんじゃないかなと思ったのです。

 向き不向きの問題じゃないかなと思ったのです。夢を持つことが性に合わない人間も多分いるのだと。どこにだ。私だ。

 そういう風に毎日風に吹かれるように、面白そうなことになびいていくのが向きなんじゃないかと、そういう風に考えて、今日も自分偉い、生きてて偉いと褒めたら、やっぱりいつものように嬉しくて満足したのでした。

 今も夢を探すことを諦めたわけではありません。今だって、追いかける価値のある夢が道ばたに転がっているなら拾いたい。でも、無理するこたぁねえなと思いました。私に夢が必要になったら、きっと夢のほうから歩み寄って来てくれるに違いないと、なんの根拠もなく信じ切っているなう。

 徹底的に楽天家で、どこまでも自分大好き。それが私です。

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