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【社会/メモ】『従者の復讐』について:無邪気なだけにたちが悪い

Written on:4月 13, 2010
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※日本が単一民族国家だと固く信じている方はスルーしたほうが心穏やかに生きられるかもしれない。そんな話

従者の復讐 (内田樹の研究室)について。

面白かったです。

『日本がアメリカに強く出られない(出ない)のは、アメリカに対する嫌がらせ』っていう発想はなかったなあ。

読んでいて、「ああ、こういう発想もあるのか」「そういう行動としてとらえることもできるなあ」と、知的好奇心をちくちくと刺激してくれる話でした。現時点ではこの話の妥当性までは考えていないけれど(今の私にはちょっと荷が重い)単純に読み物として楽しめました。

内田さん、この論点で一冊本書いてくれないかな。もう少し深く突っ込んで考えていること、すごく読みたい。出たら買う。

ただ、

『なるほど、私たちはアメリカの滅亡を心底願っているのだ。』

というときの『私たち』って誰だ?というのに引っかかってしまって、現在ひどく消化不良。うんうんと唸っております。

この『私たち』の中に、新井ユウコが含まれていたとしても、まあいいさ。少なくとも私はこの話を興味深いと思って、「あり得ない!」と反論しようとしない時点で、そういう暗い企みの残り香を楽しんでいるのだし、私は民族的にマジョリティだから。内田さんが語るとき、多分そこに含まれるでしょう。

でもさ、日本は多民族国家なんだから、大和民族だけ住んでる訳じゃないですよね。日本国民といったって、アイヌの人もそれこそこの言説に出てくる沖縄の琉球民族だっている。帰化した日本人の立ち位置はどうなるのでしょう?日本国籍を持っていないけれど日本で生きている人は?

日本は多民族国家で、その権力はマジョリティである大和民族が握っています。沖縄では多く取り上げられる基地問題の報道が東京ではほとんどされないことや、歴代の政治の中心が北海道や沖縄ではあり得ず、奈良、京都や東京など、大和民族が住む地域の中央に固まっているのが証左の一例。

1.この話、 『国民国家である日本に課せられた課題は、日本人が国民的に統合され、日本人であることに誇りをもつことである。』と語られています。(ちなみに、この日本国が日本人を国民的に統合して云々というはなしは、日本国のステイト内にある 他民族などのマイノリティの存在を否定する大変失礼な話。でも実際日本国(→政治的権力を保持する大和民族)が志向しているはなし。統合ではなく共存を目指すべきと、個人的には思ってます)

2.次に、『普天間基地は「国家の問題」』なのだと続きます。

3.『日本の「口にされない国是」は「アメリカと戦って、次は勝つこと」』なのだそうです。

つまり、『次は勝つ』と思っているのは、『アメリカに対して「従者」のニヒリズムを発揮している』のは、日本国という”大和民族が中心となり作り出した国家構造”のはずなんだ。うん、確かにはなしを読む限り、途中までは『日本国=民族的マジョリティが中心となり管理運営する国家、あるいはその構造』という意味でとらえれば、飛躍や破綻なく話が進んでいます。

なのに、突然ぽんと『なるほど、私たちはアメリカの滅亡を心底願っているのだ。』という一文が出てきて、私はぽかんとしてしまいました。えっ、国家のはなしじゃなかったん?民族的マジョリティが責任の多くを負う”日本国”がねじくれた考え方をしていて、アメリカの没落を喜んでいるんだよ、ってはなしじゃなかった?なんでいきなり『日本国』の問題から『私たち』にはなしがすり替わったんだ?その飛躍について行けず、もう一度読み直したのだけれどやっぱりうーんと唸ってしまいました。むしろこの文章、序盤はともかく後半、日本と日本国と日本国民と日本人と、色々混同してないか。いや、序盤でも日本人と日本国がごっちゃりしていて、「まー、日本人=民族的マジョリティ くらいで考えてるんでしょ」って、そこは目をつむって読んでいたんだけれど。

私たちって誰のこと?分からない。少なくとも、この『私たち』の中に、大和民族のみならず、民族的マイノリティを含めて語るとしたら、すごく嫌だ。それって欺瞞だ。

当事者である沖縄の人(日頃の生活に基地が溶け込んで、でもそれによって負担を追わされている人)も日本国の管理運営を担っているひとたちと一緒に、アメリカとの交渉で日本が強く出られず基地問題の解決が遅々として進まないことを心の底では喜んでいて、アメリカの没落を嘲笑っているって?そんなばかな。

いやだなあ。まるで、悪さをたくらむガキ大将がまわりの子たちまでも無理矢理共犯に巻き込んでいるみたいで、すごく卑怯な感じがする。

さらに言いつのれば、この文章そもそも日本が多民族国家だって事すら、華麗にスルーしてないか。民族的マイノリティがいるんだかいないんだか、そのことすら分かっていない感じがする。あるいは分かっていて無視しているか。それって先にも述べたけど、マジョリティが無邪気に振るえる特権的な暴力なんだが・・・。(終わりのほうに沖縄のはなしがちらっとでてくるけれど、ひどく客体化された表現に感じる。沖縄に住んでいる人たちのことなんか本当にどうでもよさそうな。これ。↓

『沖縄県民が「私たちはいつまで犠牲にされるのでしょう」と絶望的な訴えをする映像がこの交渉の「本質」を伝えるものとして世界中のメディアに宣布される な ら、この政策は部分的には「成功」と言えるのである。』

この一文を書くとき、沖縄の基地周辺に住んでいて、騒音や米軍との問題に日々を煩わされている人々の表情とか疲労、辛い気持ちをちょっとでも思い浮かべたなら、少なくとも もう少し補足を書いたり、配慮した表現をすると思う。たとえ文脈的にそれが関係ないとしても、配慮は必要だ。配慮が必要と感じながらそうしないなら、「配慮しない」と一言添えればいいはなし。

考えてみれば、沖縄の基地問題に直面しているひとたち、基地の近くで生活しなきゃいけなくて騒音や不安に脅かされ続けている人にとっては、確かにアメリカのことが嫌いかもしれないけど、その嫌いの原因は多分日本国内に住む民族的マジョリティの思惑とは違うっしょ。「もう一度戦って勝ちたい」なんて、そんな余裕ないでしょうよ。「基地のそばで暮らす私たちの生活が辛いものになってしまうから、基地がなくなってほしい」って、そっちのほうが優先だし、それで手一杯じゃないでしょうか?

無邪気だよなあ、マジョリティ。知らなくても、考えなくても済むんだもん。
その無邪気さ、無知さで、誰に迷惑をかけているかとか、誰を苦しめているかとか、華麗にスルーするんだもの。
だからこそたちが悪いよなあ。悪気ないんだもんなあ・・・。


もちろん、私もあらゆる面でマジョリティとしての恩恵を受け取っているわけで、だからこそ深く、深く自戒を込めて。

***********

書いてて読み直して思った。

民族的な問題をここでは集中して語ったけれど、もうひとつ大きな問題が。

ステイト的な意味での、日本国内に沖縄が含まれていない感じがするんだ。

まるでどこかの南の島の話、みたいな。ひどく他人行儀のような。

文脈の中で言葉の使い方が混濁しているその事自体が、沖縄の人の辛苦を無視しているような、そんな感じがして、私がもし沖縄に住んでて近くに基地があって毎日しんどい思いをしている当事者だったら、すっごく腹立つだろうなと思って、そう考えたら、なんか悔しくて・・・。

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  1. anthrock says:

    >内田さん、この論点で一冊本書いてくれないかな。

    内田樹センセは『街場のアメリカ論』と『日本辺境論』でこのへんについて触れていると思います。
    (もう既に読者だったらすみませんが、)もし読んでなければ、ぜひ。

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